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2005年6月30日 (木)

湯沢高原「アルプの里」行

_033 バスツアーで湯沢高原「アルプの里」に。
新潟地方は豪雨の影響で被害も出ているという報に、「今夜はバスの屋根で夜を明かすかも」と家人に冗談をいいながら家を出る。
案の定、出発時はものすごい雨。でも関越にのるころは雨もやみ、湯沢は薄日も見えて、ひと安心。

世界最大級といわれる166人乗りのロープウェー(写真)_001 で標高約1100mの「アルプの里」(写真)に。

約1000種もの高山植物が60,000㎡の広大な丘陵地帯に咲き誇るさまは,まさに花の楽園である。

日本一といわれるロックガーデンには幻のヒマラヤの青いケシ(写真)_015 や日本の高山植物の女王といわれるコマクサ(写真)_025 などの珍しい花々が見られた。

(他の花々はマイフォトに収録しました)

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2005年6月17日 (金)

ツユ空の下で、、、

浅草寺
いつきても善男善女でにぎわっている。おなじみ雷門(写真)_004 をぬけて仲見世(写真)へ。_003
外国人の姿が目立つ。どの顔も見ても一様に明るい。 
文化が国際親善をはたす役割の大きさを改めて実感する。

堀切菖蒲園
雨に濡れた江戸ハナショウブがその色をいっそう鮮やかにしている。(写真)_013

水戸の偕楽園を設計した徳川斉昭公が絶賛したといわれる名園である。しかし、今は高速道路とマンションに囲まれたひっそりとしたたたずまい(写真)に時代を感じてしまう。_018

水元公園
大小の水路が園内を走り、まさに水の公園である。広々とした_029 園内にはハナショウブの群生も見られた。(写真)

松戸・本土寺
「アジサイ寺」と呼ばれているだけに、_040 こんもりした山寺のいたるところにアジサイが咲き乱れている。(写真)
”アジサイはツユ空によく似合う”の感しきりである。

(その他の写真はマイフォトに収めました)

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2005年6月13日 (月)

ツユの晴れ間に、、、

昭和記念公園に。
夏のような暑さである。水あそび広場からは子供達の嬌声が聞こえてくる(写真)。05

汗をかきながら日本庭園に。
途中のバーベキューガーデンは日曜とあって、若者達でいっぱいである。
Gさんは、これを横目に黙々と、、、。

日本庭園の池の周りには、ハナショウブが鮮やかな色をつけていた(写真)05
何枚かをカメラに収め(収穫?はマイフォトに)て、帰路に。

途中の道々にはアジサイが(写真)05

すっかりノドも乾き、ヘトヘト。
園内の店で飲んだ生ビールのうまかったこと。

ツユの晴れ間の一日でした。

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2005年6月11日 (土)

「銭湯談義」

昨夜遅く、友人から「銭湯物語」なるメールが送られてきた。
それによると、銭湯は11世紀末にすでにあり、明治10年頃暗い浴室を取り払い、天井を高くした「改良風呂」ができ、現在の銭湯の基本ができたそうな。大正以降タイルが張られるようになり、昭和初期にカランが取り付けられたそうだ。
銭湯を正面から見ると、神社仏閣を思わせるが、これは関東大震災復興期に宮大工の技術をもつ職人が墨田区に豪華な銭湯をたて、これが受けて以降同じような様式が取り入れられるようになった、というものである。

読みながら、銭湯にまつわる思い出を返信したところ、これを見た別の友人二人から次々とメールが飛び込んできた。
我々の世代は、戦争にはとられなかったものの、空襲、疎開、戦後の苦境と歴史に翻弄された苦い経験をもっている。友人のメールはいずれも、銭湯を通してのそうした苦い思い出であつた。あの当時のことが、改めて思い出されてしまった。

ところで、銭湯の建物といえば、先日行った都立小金井公園の江戸東京たてもの園が思い出される。ここには江戸時代から昭和初期にかけての看板建築が復元・展示されている。2・26事件の現場になった高橋是清の母屋部分も展示されている。そのなかに「子宝湯」という東京を代表する銭湯の建物(写真中央)も。_015 足立区千住元町から移築したそうだ。軒に施された七福神の彫刻は家一軒にも相当する貴重なものだと、友人がいっていた。

でも、こうした建物があまり見られなくなったのは、寂しいことである。
最近銭湯にもとんと行かなくなつてしまつた。 

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2005年6月 8日 (水)

ユスラウメとクワの実

昨日、偶然にも二人の友人から懐かしい写真が送られてきた。
ひとつはユスラウメである。(写真)1118109669_1
故郷の家の庭にあった木(庭梅ともいっていた)を想い出した。
そのルビーのような実をよく食べたものだ。
友人はその味をえぐい(えごいという所もあるが)甘酢っぱい味と表現していた。
たしかにほろ苦いではなく、えぐい味なのである。
今ではこの言葉はあまり聞かなくなった。味覚の画一化のなせるわざか。

もう一枚はクワの実(写真)である。
終戦直後の甘いものが無かった時代、桑畑に飛び込んで、口の周りを紫色にしながら貪り食ったものである。
1118131205_2今でもその香りと味は忘れられない。
余談だが、この桑の木の根っこがすばらしい燃料になつた。昔の風呂はこの根っこひとつあれば、十分沸かせたものだ。
そんな桑畑も今ではとんと見られなくなった。養蚕農家が激減したためであろう。

薄暗いカイコ棚の中で、無数のカイコが一斉に桑の葉を食べるサワサワといった風のような音が想い出される。

もうひとつ友人が教えてくれた童謡「赤とんぼ」の二番
♪山の畑の桑の実を 小籠に摘んだは まぼろしか♪
涙が出る情景である。
しばし遠い昔の少年時代に思いをはせた。

最近読んだ旅行誌では、桑の実摘みツアーが計画されているそうだ。
桑の実も観光資源にー世の中変わったといってしまえば、それまでだが、、、。

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