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2005年7月29日 (金)

乗鞍岳畳平

”貧乏暇あり”のわが身、28日に乗鞍岳畳平に向かう。

行程は、中央高速松本ICから野麦街道(国道158号線)に。途中道の駅「風穴の里」(写真)で休憩。_001

この158号線はさる1日、安曇村沢渡で起きた土砂崩れにより通行止めになっていた。このため岐阜県側からの入山はあきらめていた。
ところが、この日午前10時から開通とのこと。ラッキーであった。
安房トンネルを抜けると、そこはもう岐阜県平湯。そこから乗鞍スカイラインに乗る。
日本一の高所を走る山岳有料道路である。また、上高地と同様、環境保全のためマイカーは規制され、バスとタクシーだけの通行である。
車窓からは穂高連峰も(写真)。_005

40分ほどで乗鞍岳畳平(写真)に。_008
標高2702メートルのひんやりした、というよりはむしろ寒いような空気のなかに降り立つ。
板道を通ってお花畑の散策に(写真)。_031

あたり一面には高山植物が咲き乱れている。

ハクサンイチゲ、ヨツバシオガマ、クロユリ、ハイマツ、シナノキンバイ(写真の順に)と。_011 _029 _013 _030 _015

巡視員が「マイカー規制の効果は大きいですよ。植物達がよみがえっています。ハクサンイチゲの群生も見られますよ(写真)_023 」と嬉しそうに話していた顔が印象的だった。
環境保全の大切さを実感する。

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2005年7月22日 (金)

ミステリーバスツアー

行き先は着いてみないとわからないミステリーバスツアーに21日朝、乗り込む。
49人の満席。毎度のことながら大半は高齢者。さながら敬老会の様相である。といっても、自分もそのうちの一人であるが。

バスは八王子ICから中央高速を西に向かう。途中境川ICで一服。甲府、韮崎をへて小淵沢ICから一般道へ。ほどなく八ヶ岳チーズケーキの里に。チーズケーキの試食。

バスは清里高原、美し森を横目に八ヶ岳高原ラインを走り、野辺山高原(写真)_002 に。標高1375mのJR鉄道の最高地点である。

小海町をぬけ_016 八千穂村にある八千穂高原自然園に着く。
カラマツやシラカバの森を散策する(写真) 。野鳥のさえずりや爽やかな風が心地よい。
しばらくすると「飛竜の滝」に(写真)_013
マイナスイオンを胸いっぱいに吸い込む。

バスはメルヘン街道とロマンチックな名のつく国道299号線を上る。
左右にカーブをくりかえし標高2127mの麦草峠に。日本の国道では二番目に標高が高いところだそうである。
間もなく白駒池の駐車場に到着(写真)。_031

原生林に囲まれた神秘的な散策路(写真)を足場を気にしながら進む。_025
ひんやりした風がなんとも気持ちよい。
15分ほどで白駒池に(写真)。_026
標高2115mにある湖はきれいに透き通っていた。
2100m以上の湖としては日本最大の自然湖だという。
散策路の脇のにはコメツガ(写真)も。
_030
バスは蓼科高原を下って諏訪湖畔にある間欠泉センターへ。
間もなくして間欠泉の吹き上げが見られた。(写真)_036
一日に5回ということで時間的にラッキーであった。
ついでに足湯(写真)_037 で疲れをとる。

最後は、野沢菜センターのモモ食べ放題。二つ食べたらいっぱいになってしまったが、女性群は四つ、五つと、老年パワーを発揮していた。

ワンカップを脇に置いて諏訪ICから帰路に。
盛り沢山の一日であつた。

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2005年7月18日 (月)

ツユ明け前

昨日の朝、ベランダのムクゲが花をつけた(写真)。_002

これに刺激されて、夏の花を求めて昭和記念公園へ。
ツユ明け前独特のムッとする蒸し暑さには閉口する。

それでも早めに出たかいあつて、ハスが元気な姿をみせていた(写真)。_006

何枚かを撮り歩くも、汗、又汗に予定の半分ぐらいで切り上げる。
「歳かな」と思わず苦笑してしまう。

帰り道のヒマワリ畑では何種かが妍を競っていた。
思わず足を止めて中へ(写真)。_025 これぞ”夏の花”を実感する。
通りがかりの女性の「みんな同じ方を向いている」「ほんとだ」、、、の会話になぜか笑いがこみ上げてきた。

立川の居酒屋でしばし涼をとり、帰路に。
途中、昨日まで気がつかなかったサルスベリが花をつけていた(写真)。_030
毎年のことながら、この花をみると夏を実感する。
今日は関東地方もツユ明けが宣言された。

(他の写真はマイフォト昭和記念公園の四季・夏に追加しました)

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2005年7月 9日 (土)

下町三題

両国界隈(7月5日)

昔の同期のサクラ、老友4人が両国駅で待ち合わせ、両国界隈の散策としゃれこんだ。
江戸東京博物館を皮切りに、本所松坂町の吉良邸跡に。広大な屋敷のよすがはなく、びっしりと民家が立ち並ぶ。わずか30坪ほどが公園として保存されている。中には上野介を奉った小さなお稲荷さんが(写真)_012

すぐ近くの回向院(えこういん)に。
350年前の「振袖火事」による無縁仏を将軍家綱の命によって手厚く葬ったという寺である(写真)_009

下町の路地裏を回りながら、大川端に。昔漂っていた悪臭はまったく無い。隅田川を行き来する水上バスも美しい(写真)_019 。川の浄化を実感する。

きれいに舗装された散策路を両国橋に向かって歩く。目指すは橋のたもとにある老舗、しし鍋の「ももんじや」である。

入谷のあさがお市(7月7日)

市の中日に入谷に出かける。人また人の波である(写真)_008
東京の「夏の風物詩」をゆっくり鑑賞する余裕はない。
ベランダで涼を味わおうと一鉢を求める。
鬼子母神にお参りをし、孫にあさがおのお守りを買う。
入谷のあさがおが花をつけました(写真)。_004

柴又(7月7日)

同じ日、柴又に。駅前では寅さんが笑顔で迎えてくれる(写真)。_022
帝釈天の参道には寅さん映画のモデルとなった「高木屋」(写真)も。_021

暑いさなかの、下町の散策であつた。

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2005年7月 6日 (水)

60年前の7月6日

1945年7月6日。甲府盆地はその日も、炎熱が支配するむし暑い1日だった。

私は国民学校2年生、両親と妹のごく平凡な家庭であつた。
そのころ、甲府市の上空は、毎日のようにジュラルミンの機体をキラキラさせながらB29の編隊が東方に向かうのが見られた。
制空権は完全にアメリカのものであった。
甲府の人々は「甲府は上空を通過するだけ。空襲はなかろう」と話し合っていた。

午後11時40分ごろだろうか。
甲府盆地を見下ろす愛宕山に一発の照明弾が落とされた。
真昼のように明るくなった甲府盆地めがけて、B29による焼夷弾の無差別爆撃が始まったのである。

母親に起こされた私は、あわてて服を着て、外に出た。
昼間とは違う不気味な明るさが、今も妙に頭にこびりついている。
東の空はすでにまっ赤、我々は南を目指した。シュル、シュル、シュルとB29の急降下の不気味な音がする度に、あわてて近くの民家に飛び込んで身をかくした。
父は「学校の防空壕に行こう」ということで学校に行くも、すでにいっぱいの人。
やむなく又南下して、神社の境内で一夜を明かした。

空襲もやみ、明るくなったので一応家の方に歩きはじめたが、すでに一面焼け野原。
まだくすぶっている電柱をさけながら歩いたが、道にはまっ黒に焼けた死体が点々ところがっている。中には、まっ赤に焼けただれて、かろうじて座りこんでいる人を見たが、どうにもできなかった。
まさに地獄絵とはこのことだろう、と幼い頭で反芻していた。

やっとのことで家にたどりついたが、一面はまったくの焼け野原(写真=「甲府空襲の記録」より)_003 。焼け跡から父母が何かを拾っていたのを記憶しているが、何を拾ったのか覚えていない。

記録によると、139機のB29が甲府市を2時間余にわたり無差別爆撃、死者は1127人。
私の幼ななじみの女の子もこの中に入っていた。
わずか8歳の幼い命であつた。
夫は南方で戦死、ひとつぶだねを空襲で奪われた母親の気持ちはー
あとで聞いた話だが、母親は精神に異常をきたしてしまったという。
いつも弱いものが犠牲になる戦争というものの、あまりにもむごい仕打ちを想わずにはいられない。

その夜は甲府市のほか、千葉市、明石市、清水市が同様に空襲されたという。
同じような悲劇があったのであろう。

空腹をかかえながら万力(山梨市)の父の実家にたどりついたのは日暮れ前。
長い1日であった。

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