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2010年12月31日 (金)

大晦日

 今年も大晦日を迎えた。
 東京地方は朝から穏やかな天気だが、西日本や北日本は雪を伴った大荒れの天気になって いるようだ。

 さて、この一年、どんな年だったろう。
 恒例の漢字で表すと「暑」とのこと。
 たしかに熱中症による死者が相次ぎ、異常な猛暑に悩まされた。
 しかし、一年を通して見ると迷走の「迷」であり、失望の「失」であったような気がしてならない。

 鳴り物入りで登場した民主党政権であるが、一年4ヶ月たった今、はたして国民の期待に応えた政治が行なわれてきたであろうか。
 票を集めたマニフェストは早くも政権内部で大幅な見直しが検討されている。普天間問題もしかり、「少なくとも県外」が「沖縄に置くことがベター」と、沖縄県民ならずとも、その変節ぶりには怒りを感ずる。
 マニフェストで政権をとったのである。それが実現できないのならば、いさぎよく国民に謝り、代案を示して、改めて国民に真を問うのがスジであろう。それが責任政党のあるべき姿であると思えるのだが。
 党内抗争にうつつを抜かしている時ではないはずである。それとも、それができない政党ならばさっさと解党すべきであろう。
 そんな気がしてならない一年であった。

 個人的には、通院しながら、療養に徹した一年であった。大きな変化がなく、日常生活を送れたことを感謝すべきであろう。
   めでたさも中ぐらいなり病み上がり

 皆様どうぞ良いお年を。

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2010年12月22日 (水)

冬至(22日)

 この日(22日)は、24節気で冬至。
 昼が一年中で最も短く、夜が長くなる。この日を境に、明日からは日脚は徐々に伸びていく。

 この日はカボチャを食べて金運を祈ったり、柚子湯に入って無病息災を祈ったりする行事が古くから伝わっている。
 我が家でも、カボチャは食べなかったが、柚子湯に浸かり息災を祈った。012
 前の庭には寒椿が咲いていたが、寒さはこれからが本番だ。先日かぜを引いてしまったが、気をつけねば。

 今月は半年振りの胃の内視鏡検査(6日)、胃ろうのアダプターの交換(13日)とあり、16日は内視鏡検査の結果を聞きに。異常はなく、十二指腸の影も消えているとのこと。経過観察ということで、来年11月末の内視鏡検査の予約を。一年先の話である。帰ってきて家人に話したところ「しっかりホローしてくれるのは有難いこと」と言っていたが、たしかにその通りである。

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2010年12月 7日 (火)

退院後一年(3)

 >4月3日(土)
    娘と病院に。頭頚科のS先生。ノドと舌は驚異的に良くなっているとのこと。万一に備え緩和ケアの方法を話し合う。
 >4月15日(木)
    通院日にて出かける。臨海線不通で目にあう。真冬のような寒さの中、たまらぬ。娘と落ち会い化学療法科のS先生の診察。肺のレントゲン右上に白い影がでている。漢方の診察予約。
 >4月26日(月)
    通院日にて、早めに出かける。娘と落ち合いてレントゲン。あと4人の先生の診察。緩和支援、肺のほうは落ち着いている。漢方は診察をうけ、薬を調合してもらう。当分飲んでみようと思う。
 >5月10日(月)
    がんが見つかってちょうど一年たった。何か自分ががん患者であるという実感はない。やはり痛みなどの自覚症状がないためか。複雑な気持ちになる。今後どうなることやら。
 >5月13日(木)
    通院日にて、病院に。二時間ほど待たされS先生。肺の方は変化なく、胃の結果待ち。
 >5月24日(月)
    6時起きにて病院に。飲まず食わずで胃の内視鏡検査。潰瘍は完全に治っており、明日から抗がん剤治療を始めようとのこと。ただし、1日80mgを65mgに減らし、胃薬を併用することに。あと、頭頚科と漢方の先生と一日がかりなり。やはり疲れた。
 >6月3日(木)
    通院日にて、病院に。天気もよく、診察もスムーズに終える。消化器内科、胃はきれいになったが、十二指腸に5ミリほどのものがあり、良性と思えるが、ねんのため6ヵ月後、内視鏡検査となる。
 >6月5日(土)
    かみさんと山梨の清里・美の森のツアーに出かける。甲府まで特急で。あとバスにて一日清里を楽しむ。晴天の下、心身ともにリフレッシュされた感。
 >6月7日(月)
    通院日。血液、レントゲン検査とも順調とのことで、かみさんと共にホッとする。次からは4週に1度の通院となる。
 >7月5日(月)
    天気かんばしくないが、通院日にてかみさんと病院に。血液、レントゲンともに変化なし。TS-1(抗がん剤)2クルー目を始めることに。

 抗がん剤は4週間飲んで、2週間休みというパターンだが、やはり、飲んでいるときは、食欲不振、倦怠感に悩まされる。
 17日の朝刊で友人のT君の訃報を知る。学生時代の友人で集英社の社長を務めた。肺がんを患い、脳に転移したが手術でよくなり、昨年は同期会の打ち合わせで会ったばかりだった。シヨックである。

 >7月19日(月)
    4時半起きにてかみさんとミステリーバスツアーに出かける。途中行田の古代蓮を見学、これは見事であった。あと群馬に。水沢観音、榛名山と暑い中だったが、一日楽しむ。
 >8月2日(月)
    通院日にて病院に。4週に1度になったためか、何か、久方ぶりの感。頭頚科のS先生、TS-1がよく効いており、結果はよいとのこと。化学療法科では血液検査の結果、貧血気味とのこと。娘と落ち合う。
 >8月30日(月)
    4週間ぶりの通院日にて病院に。娘と落ち合い、S先生。レントゲン、内視鏡とも変化はなくTS-1が効いているとのこと。あと首と胸のCTを撮る。一日疲れた。
 >9月6日(月)
    暑い中、病院に。化学療法科のM先生。先日のCTの結果、変化なく”休眠状態”とのこと。肺の影は転移ではないかもしれないとのこと。生活の質と抗がん剤との兼ね合いを話す。

 抗がん剤を続けているが、肛門痛に悩まされる。娘からもらった座薬でしのぐも、気分この上なく悪し。TS-1は止める。27日の通院日は変化なし。10月18日の通院日で2週間飲んで、2週間休むパターンに変える。

 >10月25日(月)
    通院日。頭頚科のS先生のみ。レントゲンの結果も変わりなく、このままいってくれたらと、先生。

 11月15日と22日の通院日ではレントゲン、内視鏡とも変化はなかった。しかし、放射線治療の影響で唾液の減少は続いており、食事が十分に摂れないのは大きな悩みである。
 

 

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2010年12月 5日 (日)

退院後一年(2)

 >2月16日(火) 
    72歳の誕生日を迎える。がんを患って初の誕生日。あとどのくらい生きられるか、考えてしまう。娘、孫達、妹夫妻からおめでとうコール。嬉しきものなり。
 >2月21日(日)
    四ヶ月ぶりに川柳の会(3年前から知人の紹介で入会。月一度の例会を楽しんでいる)に。皆喜んでくれる。こういう雰囲気は嬉しい。楽しい一時をすごす。
 >2月22日(月)
    通院日にて病院に。頭頚科はS先生に。最初診てもらった先
生なり。内視鏡の結果、ほとんど跡はなくなり、小さくなっているとのこと。やはり嬉しくなる。娘と落ち合う。
 >2月25日(木)
    化学療法科の通院日。血液検査のあと、S先生と。明日よ抗がん剤TS-1(飲み薬)の投与を始めることに。あと放射線科のT先生。娘が来てくれて助かる。
 >3月2日(火)
    早目に起きて、南房総のバスツアーにかみさんと出かける。 10ヶ月ぶりか。ほんとうに久方ぶりの感にて、旅を楽しむ。たれど 昼食、夕食はほとんど食べられず、やはり疲れた。8時帰る。

 抗がん剤のせいか、食欲なく、倦怠感ひどい日が続く。吐き気、胸焼けもひどい。病院に電話し、薬は一時やめることに。今後どうなるか不安にもなる。

  >3月10日(水)
     昨夜来の雪で積雪をみる。通院日にてまいる。かみさんに 付き添ってもらい出かける。頚部のCTを撮り、あと化学療法科のS先生の診察。CTの結果はよいので心配なしとのこと。TS-1は一時ストップに。
  >3月15日(月)
     頭頚科S先生の診察日。ノドはやはり大分よくなっているが レントゲンの結果、肺への転移の疑いが出てくる。CTの予約をる。一番恐れていたことである。打ちひしがれる。明日早いので娘宅(大田区大森、病院まで車で30分)に泊まる。
  >3月16日(火)
     大森で目覚め、その足で病院に。消化器内科の内視鏡検査
を受ける。苦痛はないが、胃潰瘍との診断。しっちゃかめっちやかである。疲れはてて帰宅。
  >3月20日(土)
     かみさんと病院に。肺のCT検査。やはり右肺上部に二箇所の影がみつかる。転移の可能性があるので経過をみることに。覚悟はしていたが、愕然となる。
  >3月25日(木)
     通院日にて病院に。雨も降り出して寒い日なり。娘と落ちあいて、頭頚科のS先生。さほどの深刻感はなし。消化器内科のF先生はまず潰瘍を治すこととのこと。放射線科のT先生は本日で終了なり。
  >3月31日(水)
     早くに起床。静岡三嶋大社と身延山のしだれ桜ツアーに。それぞれ満開にて美しい。たれどものが食えず、酒も苦くてまいる。いささか疲れて帰宅。         
    

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2010年12月 3日 (金)

退院後一年(1)

 昨日、12月2日で退院後一年を迎えた。
 何かアッという間の一年だったように思えてならない。
 このところ、月日のたつのの速さは実感しているが、この一年は特にその思いを強くしている。かみさんにもそんな話しをしたら、彼女も同じ思いらしい。
 
 がんという思いもしなかった病にかかり、入院治療という初めての経験がそんな思いを強くさせているのかも知れない。
 そこで、この一年を振り返ってみるのも無駄ではなかろうと思い、日記をたよりに書いてみた。

 >12月2日(水)
    いよいよ退院である。50日間よくがんばった。朝から何かと    手続き等。かみさん病院に。二人で主治医の話を聞く。完治したわけではないので、二週間に一度の通院、体力の回復の必要性などを聞く。二人でゆっくり電車で帰宅。久しぶりの我が家である。S君(学生時代の友人。大腸がん、前立腺がんで療養中)より励ましの手紙。退院をみはからっての配慮に思わず涙。気弱になっている自分に気づく。
 (   )内はブログのために加筆。

 こうして、自宅療養が始まった。
 病気の経緯を書いてみると、、、ノドに違和感を感じ、近くの総合病院で診察を受けたのが昨年5月。咽頭がんの疑いあり、ということで癌研有明病院を紹介され、ここで検査の結果、下咽頭(ステージ4)、舌(同2)、食道(同1)のがんがみつかった。まさに満身創痍。医師の話を聞いていても、何か他人事のような気がしていた。
 医師は手術も可能で体力もあるので外科手術を勧めたが、永久失声、再発の可能性もあるということから、抗がん剤治療を選んだ。7月1日に入院、3回の入退院の結果、だいぶ小さくなったので、抗がん剤と放射線治療を併用することに。10月13日に再入院し、33回の放射線治療を行なった。その結果、舌と、食道は完全にきれいになり、下咽頭も小さくなった。
 今思うと、最初に抗がん剤治療を選んだのは正解だったのかもしれない。治療法を選ぶのは最終的には自分であるという、苦しい局面もあったが、懇切丁寧に説明をしてくれた医師の賜物であると思っている。

 >12月15日(火)
    初の通院日なり。息子の都合つかず、かみさんと電車にて。朝のラッシュでこのうえなく気分悪く、まいる。都内に住む娘(看護師をしているので心強い)と病院にて落ち合う。しばらく様子をみることに。

 その後の通院で頭頚科、化学療法科、放射線科の三人の先生に診てもらうも患部は小さくなっており、様子をみることに。
 しかし、放射線の影響か、味覚が落ち、食が進まない。入院中に作ってもらった胃ろうで養分の補給を続ける。

 >1月14日(木)
    今年初の診察日にて、病院に。娘と落ち会い、化学療法科のS先生。もうすこし様子をみようということに。寒さ厳しい中、新宿より特急にて帰る。
 >1月22日(金)
    頭頚科のB先生の診察日。ノドの方はかなり小さくなっており、舌は治っているとのこと。B先生は今度埼玉の方に移動するとのことだ。先生にはいろいろお世話になった。握手をして別れる。
 >1月28日(金)
    放射線科の診察日にて病院に。先月より小さくなっているということだ。化学療法科ではいずれ経口による抗がん剤治療を予定しているとのことだが、あわてることなく一ヶ月後でもよいとのこと。そうする。

 

 

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