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2011年7月29日 (金)

がんとの共生(7月)

  1日(金)
 2年前のこの日、初めての入院日であった。
 これまで、入院といえば、40年も昔、盲腸で入院したぐらいだっただけに、いささか緊張していたのを思い出す。

 それまでの約一ヶ月は検査や治療法の選択に費やされた。
 発症が下咽頭というだけに外科手術の場合、永久失声や後遺症が深刻なことで、これは消極的に。放射線治療は患部が大きすぎて効果が期待できないこと、残るは抗がん剤治療であった。
 したがって、初の入院は抗がん剤治療のためであった。

 ところで、その抗がん剤についてであるが、最近「抗がん剤は効かない」「治療で得られるのは過酷な副作用でけ」、、、などといった言葉を耳にする。
 たしかに、がんという病はきわめて個性的なものであるだけに、同じ抗がん剤を使っても効果がある人と、まったく効果が現れない人が出てきてしまうと思う。しかし、効果が現れないからと言って、抗がん剤全てを否定するのはいかがなものかと思う。

 私自身、1日の入院から3回の入退院を繰り返して抗がん剤治療をした結果、完治はしなかったものの、患部は小さくなり放射線治療が可能になった。その後、放射線治療と抗がん剤治療を併用して、退院した。
 完治しなければ意味がない、とうい見方もあるが、休眠状態のまま、生活の質の向上に努める、というのも、一つの療養ではなかろうかと思えてくるのである。がんとの共生、とでも言おうか。

  11日(月)
 頭頚科のK先生と。
 診察結果は変化なし、とのこと。栄養剤を処方してもらう。

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2011年7月23日 (土)

大暑

 今日23日は24節季で大暑。暑さが最も厳しくなる頃、である。
 ところが、この朝は、秋を思わせるヒンヤリした涼風が窓から入ってくる。
 東京地方のこの日の最低気温は18度。前日に続き20度以下は7月としては、4年ぶりとのこと。台風の影響であろう。でも、明日からは暦通り猛暑がぶり返すそうだ。

 台風一過の昨日、昭和記念公園に出かけた。007 018 026
 公園ではヒマワリが花をつけ始めていた。真夏の到来を思わせる。
 木陰にはいると涼風が心地よい。しばし、緑の空気を楽しんだ。
 一角ではユリ科のカサブランカがその清楚な白い花をいっぱいに咲かせていた。057_2  062 058
 なぜか、映画のハンフリー・ボガートを思い出してしまった。

 

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2011年7月 7日 (木)

甲府空襲ー66年目の夏

 ひょんなことで求めた山梨平和ミュージアム編の「伝えたいあの戦争Ⅱ」の中で「毎年7月6日の正午になると防災無線から甲府市長の市民への呼びかけが流れてくる。」の一文が目にとまった。
 甲府空襲から66年、毎年続く犠牲者への祈りに心が熱くなった。

 6日昼前、甲府駅頭に。1176_005_2 
 暑い中信玄公の銅像が迎えてくれた。
 甲府市内が一望できる舞鶴城公園に向かう。1176_034_2
 甲府のシンボルともいえる謝恩塔は34度の炎天下、甲府城の石垣の上にその姿を見せていた。
 何年ぶりだろうか。高校時代まですごした甲府時代が次々と思い出される。

 正午、謝恩塔の下で防災無線の音がかすかに聞こえる。
 「甲府空襲で犠牲となられた1127名の方々に黙祷を」甲府市長の鎮魂の声である。
 この1127名の中には、幼稚園、国民学校と一緒だった近所の女の子も含まれている。わずか7歳の命だった。

 いつも、弱いものだけが犠牲になっていく戦争というものの不条理さに、思わず涙がほほを伝わった。1176_041 1176_030
 
 炎天下、甲府市街は空襲直後の惨状(写真左)をよそに66年の歩みを続けている。

 近くの県民会館で「私たちの甲府空襲記録」の展示会が開かれているというのでのぞいてみた。実物の焼夷弾1176_039 も展示されており、地獄絵のような空襲のあの夜をまざまざと思い出させてくれた。http://kubokawa.cocolog-nifty.com/blog/2005/07/post_fde4.htmlしばし、ノドの乾きも忘れて立ちつくした。

 
 

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