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2016年2月16日 (火)

誕生日

 78歳の誕生日を迎えた。
誕生日といっても、近年は冥途に一歩近づいたか、ぐらいにしか思っていなかったが、この78という数字にはいささかの感慨を隠し切れない。
 ”俺も78になったか”、驚愕とも安堵とも言えない妙な気持である。

 この歳になると、友人、知人の訃報が毎年にように入ってくる。その度にいいようのない寂寥感に陥ってしまう。
 この8日は学生時代の友人Y君の1周忌であった。
彼の長男から12月に欠礼の通知がきて驚いた。
米子在住でもあり、仏前にお参りもできなかったので、せめてもの気持ちとして線香を送らせてもらった。その夜長男氏から「父も喜んでいると思います。有難うございました」という丁重な電話をいただいた。初めて耳にするご長男の声にY君の面影が脳裏を横切った。

 話はかわるが、同い年のメル友のT君から「孫の一番末が12歳、彼女にワインを飲ませるまであと8年生きるつもりです」のメール。落ち込んでいた気持ちに、何か勇気を与えられたような気がした。
 そういえば、私の末の孫娘もこの4月から中学生。俺も彼女とビールで乾杯するまで生きるぞ、、、と思ったりした。
 ”老人よ大志をいだけ”か、、、

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コメント

こんにちは♪♪
遅ればせながら、誕生日オメデトウございます。今年もブログの記事を書きながら、お元気でお過ごし下さいね。

私の伯母は最近「早く死にたい」と言います。それで慈恵医大のホスピス病棟で働く日野原医師の「今生きている命をいとおしんで」と言う言葉を伝えました。
また、「最後まで周りの人のためになる生き方をしようと思えば前向きな気持になる」という言葉も。
昨日も行きましたが、伯母の口から「死にたい」という言葉は出ませんでした。

投稿: ソナタ | 2016年3月19日 (土) 08時46分

ソナタさん コメントありがとうございました。
馬齢を重ねているだけだす。
先日もこんなことがありました。
電車に飛び乗って吊革につかまった途端、前に座っていた若いお母さん(中高生くらいの二人の子どもを連れていた)が立ち上がって「どうぞ」と席を譲ってくれた。わたしもヘロヘロでもなかったので「大丈夫です」と断ったが、好意を無にしても、と思い掛けさせてもらった。何とも複雑な気持ちに襲われた一瞬でありました。
家に帰ってそのまま鏡で全身を写し見たのは言うまでもありませんが。

人間年取れば老いるのはあたりまえのことですが、生かされていることに感謝することは大切なことだと思います。

投稿: KUBO | 2016年3月20日 (日) 11時23分

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