誕生日(16日)
誕生日を迎えた。
これは、誰でも一年に一回はいやがおうでも迎えるものである。
したがって、さほどの感動はない。
が、大台を一つ超えたかなと思うと、何がしらの感慨を覚えてしまう。
夕方、孫娘からのオメデトウコール、夜、孫坊主と娘からのメール。これは嬉しい。
あと幾つ超えるのかな、と思っても、こればかりは分からない。
とりあえず、一杯が二杯、二杯が、、、と杯を重ねた。
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誕生日を迎えた。
これは、誰でも一年に一回はいやがおうでも迎えるものである。
したがって、さほどの感動はない。
が、大台を一つ超えたかなと思うと、何がしらの感慨を覚えてしまう。
夕方、孫娘からのオメデトウコール、夜、孫坊主と娘からのメール。これは嬉しい。
あと幾つ超えるのかな、と思っても、こればかりは分からない。
とりあえず、一杯が二杯、二杯が、、、と杯を重ねた。
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今年も余すところあと一日。
毎年のことながら、月日のたつのの速さを実感しています。
この年、深刻化するワーキングプア、誰でもよかった無差別殺傷、はては生き残りのための弱者切り捨て、、、と”変”どころか”壊”の一年だったような気がします。
来る年、せめて少しだけでも明るい陽があたることを期待したいものです。
皆様、どうぞよいお年を。
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霜降、野山に霜が降りるころとある。
この日、那須高原に出かけた。
那須ロープウェイ、塩原の竜化の滝、回顧の吊橋と見て回る。
紅葉も綺麗に進んでいた。
途中、雨が降り出し、傘をさしての散策となったが、どうしたことか、カメラを落としてしまった。あわてて拾って点検したら撮影はできる。が、カメラの端にキズが残っている。
いやな予感がしたが、そのまま散策や撮影を続けた。
ところがである。帰って再生したところ、ノイズだけの映像。
やっぱり。ショックこの上なしである。
いろいろ試みながら、この時間までのヤケ酒。
とんだ文字通りの霜降りの一日であった。
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白露。
大気が冷えてきて、露ができはじめる頃、とある。
日中はまだ汗が吹き出す陽気であるが、全体の空気が何か違って感じられる。
朝、夕の心地よい涼風に、時の移ろいをかみしめる昨今である。
ところで、政界。
民主党はこの日、小沢代表の三選があっさり決まった。
党をあげての総選挙体制へ、ということであろう。
一方自民党は10日の告示に向けて、それぞれが活発な活動を展開している。
出たい人が出る、という”開かれた政党”へのイメージチェンジ”は結構なことである。
が、議院内閣制のもと、現状では自民党総裁は即、内閣総理大臣なのである。
少なくとも党総裁を志すということは、一国のリーダーを志すということなのである。
ところが、候補者と目される面々の中にその気概を感じさせる人が何人いるか。
一国のリーダーを目指すということは並大抵のことではないはずである。
「総裁選にでも出て、名前を売ってこい」とハッパをかける地方議員もいるという。
やはり、どこまできちっとした選挙ができるか、しっかり見極めないといけないと思う。
そして、それを総選挙につなげていくことが必要であろう。
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昨夜の福田総理の突然の辞意表明に、大きな衝撃が列島を包んだ。
Gさんも思わず「エッ、、、」と絶句した。
翌日は「無責任きわまりない」の大合唱である。
が、そうであろうか、と疑念がわいてきた。
と言うのは、昨夜の辞任会見の最後の厳しい質問に、「私は自分自身を客観的に見ることができる」と総理が初めて本音をポロリと漏らしたからである。
思い起こすと2004年5月、年金未納問題で、福田氏は小泉内閣の官房長官をあっさり辞任した。
当時の民主党の代表菅直人氏にも同じ問題が指摘されていた。
厳しい民主党の追及をかわす捨て身の戦法であったのかもしれない。
未納にはそれぞれの事情があると思えるのだが、未納の事実は事実である。
菅氏は3日後、代表を辞任した。
そして、今回の電撃的な辞任劇である。
この日、小沢代表は3回目の代表選に立候補を正式に表明した。すでに代表選は”封じ”られ、事実上の小沢三選が確定したのである。
福田総裁はまたしても捨て身の戦法をとったのか。
それとも、自分では総選挙を戦えない、と”自分自身を客観的に見た”結果なのか。
いずれにしても、総選挙を前に党の活性化を封じた民主党は当分静観の構えを余儀なくされるであろう。
一方自民党は「複数候補で活発な総裁選を」と、福田総裁は注文をつけている。
おそらくアメリカに負けじと女性候補を交えた総裁選が鳴り物入りで始まるだろう。国民の関心は当然集まろう。そして、その余勢をかって、総選挙。
”劇場政治”の第二幕が上がろうとしている。
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24節気で芒種。
芒種とは、稲や麦などの穂の出る穀物の種のことを言うそうだ。
したがってこの時期稲の種をまき、麦の取り入れをする。
ところが、近年麦畑はとんとお目にかからなくなった。
寒風の中、麦踏みにかりだされたのは遠い昔のこと。
それもそのはず、わが国の小麦の自給率は14.1%。ほとんどを輸入にたよっているのが現状だ。したがって、原油と並んで国際的な穀物価格の高騰をもろにかぶり、パンなどの小売価格に大きな影響が出てきている。学校給食の見直しも検討されていると言う。
おりから、ローマで世界的の食糧高騰に対する「国連食糧サミット」が開かれた。
しかし、日本などが主張した穀物輸出規制排除や、農産物を原料とするバイオ燃料の見直しなどは進展がみられなかった。
それぞれの国の思惑もあろう。
しかし、食糧に関することである。
ここはひとつ、輸入にたよっている小麦や大豆の自給率の向上に真剣に取り組む時期だと思えるのだが。
食糧の安定的供給は政治の大きな課題である。
ツユに入り、ヤマボウシも立派な花を付け始めた。
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メル友のMさんのブログに”久しぶりに父と博物館に行った”の記事があった。
思わず”お父さんと一緒、よかったですね”と返信した。
父上はおそらく私より先輩であろう。
父と娘、何ともほほえましい情景である。
やはり父親の娘に対する情愛は、格別のものがあるのであろう。
私には妹が一人いるが、そんなことをいつも実感していた。
それもそのはず、若いときは何かと言うと、おふくろの肩を持っていたような気がする。
別に深い意味があったのではないが。
晩年、おやじとと飲み交わして、意気投合し、おふくろに心配かけたこともあった。
せめてもの、おやじ孝行かなと、今でも思っている。
そのおやじも逝って20年。
今月の命日には墓参りをして、一杯酌み交わそうと思っている。
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句会用に
給油してもらいたいのは総理では
などと詠んでいたら、突然総理辞任が飛び込んできた。
まさに”突然”である。
一昨日は国会で所信表明演説を行い、我々国民も関心をもって聞いていた。
勿論、賛否はあろうが、その民意を代表しての代表質問が行われる寸前の辞任表明である。
一国の総理ともあろうものが、憲政の常道を逸する蛮行に思わず怒りが走った。
国会を何と思っているのかと、、、
総理が精神的にかなり追い詰められた状況にあったことは容易に想像できる。
でも、民主政治は一人の人間がやるものではない。
政権を投げ出すのも政治である。
今回の”独裁政治”に政権を支える執行部はどう考えているのか。殉死とはいわないが、当然責任は考えるべきであろう。
いずれにしても、国民が託した政治がいろいろな面でこのていたらく。
怒りをこえた悲しさが覆ってくる。
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参院選の終わった30日、昨年6月26日にブログに書いた「格差拡大への兆し」を何の気なしに読んでみた。
「、、、所得の再分配政策は福祉国家の柱である、、、その施策をないがしろにして、格差拡大を座視しているのなら、いつか必ず大きな爆発が起きるであろう。」、と結んであった。
その爆発が現実に起こったのである。予測が当たったなんて喜ぶ気持ちは毛頭ない。
現政権が圧倒的多数で国民から支持される、それは国民の大多数が幸せな生活を送っている証左である。
それがこの体たらくである。悲しいことである。
総理は昨夜、「反省すべき点は反省していかないといけない、、、」と述べていたが、何をどう反省するのか、そしてそれを踏まえて、これからどうしていくのか具体的に話すべきであろう。
誤りは誰にでもある。総理とて人間である。大切なのはそれに気づいて、速やかに修正することである。
ここはひとつ、「改革、改革」と抽象的な言葉を連呼するのではなく、”最大多数の最大幸福”、現状でいう”弱者救済”(最大多数は弱者なのである)という民主政治の原点に立ち戻ることを願望したい。
もしそれをないがしろにしたら、次はもっと大きなしっぺ返しがくるであろう。
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暮れも押し詰まった。
今年は、義父もあの世にいき、暮れも正月もないと思っていた矢先、従兄の訃報である。
小さいころから可愛がってもらい、兄弟同然の兄であつた。
すい臓ガンを患っていたが、元気にしていると聞いたばかりであったが。
人間誰しも死は迎える。でも、生きている者にとっては切ないものである。
明日は、悲しい沼津行である。
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何とも面白いものである。
劇場映画のことである。
半年も、一年も観ていないと何でもないが、一度観ると何か病みつきになってしまう。
(映画「父親たちの
星条旗」のスチール
から)
21日に「硫黄島からの手紙」、翌22日に「父親たちの星条旗」をたて続けに観た。
遠の昔に親爺に連れて行ってもらったジョン・ウェインの「硫黄島の砂」、そして、親爺が「擂鉢山の形が変わってしまった猛攻だった」という言葉を想い出したからである。
「硫黄島から、、、」は大本営から見放された硫黄島守備隊司令官の苦悩、負傷した米兵を助け、手当てを命じたが、死んでいった兵士を手厚く葬る将校、それに反し、命からがら投降した若い日本兵を、ゲームさながらにくわえタバコで撃ち殺していく米兵、、、
「父親たちの、、、」は硫黄島の激戦の中で、一枚の写真から意図的に作られた”英雄”が戦費調達のため、政治に翻弄される姿、若い兵士が「私達は決して英雄ではない。敵の弾を除けただけである。真の英雄は死んでいった戦友である」と叫んでも、それが又、民衆の喝采を呼ぶ、、、
面白いのは、いずれも現在のアメリカ人の作品であるということである。
「硫黄島」という一つのテーマを日米双方の視点からとらえた傑作ではある。
とはいっても、いささか日本への肩入れが強かったような気がするが。
それは日本国憲法のいう平和主義への同調か、それともベトナム、イラクに対するような力による支配だけをもくろむ超大国への警鐘乱打か。
興味ある作品であった。
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映画「出口のない海」を観に行った。
毎度、この種の映画やテレビを観て戦争に対する不条理感はぬぐいきれない。
戦後61年。その間わが国では戦争行為による犠牲者は一人も出ていない。
毎日、世界各地で殺戮が繰り返されているというのに。
何故だろう。それはわが国が世界に冠たる平和憲法をもっているからであろう。
国際社会は国際連合の枠組みの中で動いているのが現実である。
なにも、日本人だけが犠牲にならなければいい、と考えているわけではない。
中には憲法を改正して、集団的自衛権を認め、国際貢献をすべきであるとの意見もある。いわゆる”普通の国家”への模索である。
でも、そんなことをしても、国際平和が実現できるだろうか。
国際連合の場を通して、わが国のような平和憲法をつくる国家が一つでも多く実現できるように努力するのが、真の国際貢献ではなかろうかと思えるのだが。
くしくも、この日安倍新内閣が発足した。
彼は「美しい国」を造りたいという。まったく同感である。
が、その「美」である。
たまたま観た今日の映画の若い主人公は、国家のために身を捧げることが美であると考えていた。
つかのまの休みに帰省したおり、父親がポツリと「国家とは何だろう、、、」といって寝てしまう。もっと言いたいことがあったはずなのに。思わず涙がこぼれた。
美しい国造り、大変結構なことである。 そして、その「美」は何であるか、しっかり見極めていきたいものである。
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右目に糸くづのような影が出て、なかなか取れない。
だんだん数も多くなり、その影も鮮明になってくる。
暗い所ではあまり気にならないが、明るい所で新聞など読んでいると影が出てきて、視点を動かすたびに移動して何ともわずらわしい。
医者嫌いのGさんもいたたまれず、目医者に。生まれて始めてである。
「老化現象でよくあるんですが、念のため眼底検査を」ということで、瞳孔を広げる目薬をしてもらい、待つこと20分。
検査の結果、眼底には異常はなく、やはり加齢による飛蚊症とのこと。それに白内障の気もあるとの診断。目薬を二本もらい、一日4回注すように言われた。
一週間ほど注したら右目の影はほとんど無くなった。やはり医者だな、と思いいった次第である。もう一本の薬には、老人性白内障治療点眼剤とある。
歳はとりたくないものである。
そんなことを考えているうちに、先月の句会を思い出した。課題の「歯」でGさんは
歯も耳も老化現象止められず
と詠んだが、それに目も加わった。
歯と耳に目も加わって老い進み
まー、一杯やって寝ましょう。
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幼年期は 祖父母のことを考える
少年期は 父母のことを考える
青年期は 女のことを考える
壮年期は 子供のことを考える
老年期は 孫のことを考える
パスカルはいいことを、言ったもんだ。
でも、あまり考えない方がいいと思うんだが、、、
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先日の防災館の学習で影響を受けたわけではないが、映画「日本沈没」を観にいった。
━海底プレートの急速な沈降で、日本列島はわずか一年後に沈没する、、、そんな想定で始まった。
総理自らがアメリカ、中国へ日本人受け入れ要請のため、飛び立つ。
空港で政府専用機を待つ間、彼は「このまま何もしないのも選択肢の一つではないか」とつぶやく。
海外脱出といっても、空と海からの手段しかない。大パニックとなるだろう。特権を利用したものが我先にと(実際画面で政府高官が金網の外で叫ぶ国民をよそに、悠々と家族を伴って自衛隊機に乗る様子が映し出された)、さらに60歳以下を優先にということになれば、家族はバラバラになってしまい生き残った者がはたして幸せになれるか、、、そんな思いが一瞬彼の脳裏を走ったのであろう。諦観なのかもしれない。
我に返った彼は専用機に乗り、九州上空で遭難する。
臨時首相代理になった男は、「外国との交渉に」という閣僚に対し「そんなものは外務省にやらせろ。俺は総理の二の舞は踏みたくない」と頑として動かない。
そして、閣僚を集め「海外脱出のメドがついた」とボードを指しながら説明を始めた。「いいか、すでに四千万人が死亡している。今後さらに四千万人以上が死ぬであろう。そうすれば、残りの脱出は可能である」と、誇らしげに話す。これも一つの現実かもしれない。
が、映画全体としては、物足りなさが残った。
映画の大きな柱は一組の男女の愛とそれを取り巻く人間愛であった。
勿論人間愛は否定しないが、やはり、未曾有の局面に遭遇した場合、政府の危機管理体制がどう反応し、どう対応するかを柱に据えて描いてほしかった。
恋愛物語を観にいったわけではない。特撮も素晴らしいこれだけのスケールの映画である。何か消化不良が残ったのも事実である。
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指のケガも固定でおさまったので、川柳の例会に出席した。
今月の課題の一つ「投げやり」に投稿したGさんの句
格差の世あとは野となれ山となれ
に12点の得点をもらった。二桁得点は初めて。得点が目的ではない、と言いながらもやはり嬉しいものであった。
でも、よく考えてみると古い言い回しをそのまま使って、オリジナリティーのないあまりいい句とは思えない。
しかし、これだけの得点を得たのは句というよりか、現在の施策に対する怒りの現われだと思える。Gさんも怒りを込めて創ったつもりである。
先日の新聞の投書欄にこんな句が載っていた。
この次は敬老の日を廃止する
老齢者控除廃止や公的年金控除の縮小、それに伴う地方税や介護保険料の引き上げ、まったく高齢者いじめの施策としか思えない。前にも書いたが、高齢者といえども応分の負担はすべきであると思う。しかし、何といおうか、不平等感はぬぐいされない。こんなことでは格差社会は広がる一方である。
市役所などには苦情が殺到したという。が、役所も法律に基づいた措置である。
ではその法律をつくるのはどこか。いうまでもなく国会である。そして、それをつくるのは国会議員である。そして、そういう国会議員を選んだのは我々国民なのである。
そういうことを考えると、次の国政選挙では、国民一人一人が我々の生活をしっかり考えて投票しなければと思うのである。
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”小泉改革”という光りの中で、もう一方の影の部分、格差の拡大がますます広がっている気がしてならない。
景気拡大は、戦後最長の「いざなぎ景気」を超える勢いだという。
当然企業の利潤も上がっているわけだが、はたしてその分配が公平に行われているかどうか。
「高能率、高賃金」は資本主義の論理、格差がでても仕方がない、というのが首相の考えのようである。たしかに資本主義は競争の原理、競争である以上勝ち負けの部分は出るかもしれない。
では、その競争に参加できない高齢者はどうなんだろう。いきおい、年金などの社会保障に頼らざるをえないのである。
企業が収益を上げているなか、一方ではその微々たる年金を剥ぎ取りにかかる施策が実施されているのである。
これまで、65歳以上で合計所得金額125万円以下の人に適用されていた「老年者非課税措置」が今年度から廃止されたのである。その結果、地方税として課税されるため、市役所などから通知を受けた高齢者が窓口に殺到したという。
当然なことである。年間わずか125万円からもむしり取ろうというのである。
莫大な企業の収益からはどうなのか。もちろん、いくばくかの所得があれば、それに応じて税を負担するのは当然のことである。
しかし、その過程にあまりにも大きな不公平感をぬぐいきれない。取り易いところから取る、そんな魂胆が見え隠れするのである。格差は広がる一方である。
利殖で1千万円以上も儲けたご仁は「たいした額ではない」とのたまう。
そういう金銭感覚の持ち主が金融の舵をとっているのである。
所得の再分配政策は、福祉国家の柱である。「大きな政府」になってもいいではないか。
その政策をないがしろにして、格差拡大を座視しているのなら、いつか必ず大きな爆発が起きるであろう。
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朝刊一面に5段抜きの見出しで「出生率最低1・25」の記事が載った。
日本人女性が産む子供の平均数を示す05年の合計特殊出生率が1・25と過去最低を更新したと報じていた。
紙面によると、この合計特殊出生率というのは女性一人が15歳から49歳までの間に産む子供の数の平均で、1947年を境に減少傾向を示しているという。
少子化が社会問題化して久しい。原因もいろいろ論じられてきたが、身近の若者からこんな話を聞いた。結婚しようにも経済的な余裕がなくて、とてもできない、とのことだ。
格差の波が若者達に押し寄せているのか。
共働きの場合、一子はもうけたものの、二子までを育てる自信が無いという。社会的環境の不備からであろうか。
さらに「非婚化」の増加が少子化に拍車をかけていることも否めない。
「結婚なんてする気が無い」という価値観の変化が徐々に広がっているのであろうか。
いずれにしても考えさせられる数値ではあった。
同じ日の夕刊。やはり一面に「高齢化率2割越す」とある。
65歳以上の高齢者が総人口に占める割合が20・04%と初めて20%台に乗ったとのことだ。5人に一人が高齢者ということである。
「少子高齢化社会」をまざまざと見せつけられた記事であった。
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教育基本法の改正案の審議が国会で始まった。
政府案の作成にあたり「愛国心」をどう盛り込むかが、与党内の議論の焦点であったようだ。
国を愛する心、きわめて自然な発想である。
ところが、「愛国心」という言葉の中には、戦前の教育勅語の精神に裏打ちされた「忠君愛国」というおぞましさが今でも影を引きずっている。悲しいことではある。
したがって、政府も改正案の文面にある「国」は、政治機構を指すものではなことを強調している。
民主党も対案を出した。「愛国心」の代わりに「日本を愛する心」と表現している。
一部では、政府案に対する自民党の不満分子を引き寄せるため、ともささやかれているそうだ。まさかそんなことはあるまいと思うが、教育を政争の具に使うことは断じて許されないのは当然のことである。
ところで、国家の存在とは何であろう。「領土」があり、「主権」があり、そして何よりも大切なのは、それを構成する「国民」ではないかと思う。
教育は国家百年の大計である。
基本法を改正するならば、「国を愛する心」の字句を云々する前に、「人を愛する心」をまず面前に押し立てるべきではなかろうか。教育の基本中の基本である。
そして、その心は国を愛する心に通じ、世界を愛する心にも通ずるはずである。
国の舵取る政治家たちが、どうしてこんな簡単なことに気付かないのか不思議でたまらない。
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かつての同僚の義父の通夜に参列する。
退職後も奥様ともども、親しくお付き合いさせてもらっており、お父上のご冥福を心からお祈り申し上げた。
昔の同僚も多数参列しており、久方ぶりに皆の元気な姿に接し、大変懐かしい気持にもさせられた。
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花の四月を迎えた。
新しい年度の始まりである。
誰もが何かを期待する月でもある。
ところで、民主党の執行部がニセメール事件の責任をとって総辞職した。
永田議員の議席に固執するあわれな姿は論外として、これまでのこの党のありようをみて、やはり”寄り合い世帯”の感を強くしてしまう。
国会対策委員長をめぐる動きもその一つである。
党の危機に直面して、菅氏以下の党の実力者が次々と断ってしまう。
菅氏は「考え方が違うから」というのがその理由だったそうだが、党の危機に、そういうことを超越して協力していくというのが、政党人としての真の姿ではなかろうか、と思ったりした。
いずれにしても、本当に党の再生を考えているのなら、各人がこれまでのしがらみを捨てることだ。それしか、この党の生きる道はないと思う。
前原氏には若干の期待もあった。でも、こうした党の体質に潰されたのは残念なことである。
やはり、健全な野党が育ってもらいたいと、だれしも思っているのである。
♪はるがきた はるがきた
どこにきた
やまにきた さとにきた
のにもきた
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